ほんとうのあなたの気持ちを届けていますか?
最近は緊急事態宣言も解除されて、にぎわいが戻ってきたのでみんなにも安堵感が出てきましたね。
緊迫していた時期は心のエラーを起こしてしまう人たちもいて、
混乱してしまった人もいらっしゃるでしょう。
今回のような世界、地球規模のことが起きることというのは長い歴史初めてのこと。
それくらい、時代が変化しようとしていることを感じます。
本性が現れやすくなるとき。
駄目なかんじに出ている場合も、普段と同じように出来た場合でも、環境の違いという場合あるので、一概に、
「心がエラー起こしている人は本性が駄目なひと!」というレッテルをはるのもいかがなものか。
そこで一歩さがって、さみしいのを今までかくしてたのかな?とか、その人の弱さをみていくこと。
ただ、
それで実際に自分が何か嫌なことをされたときは我慢して耐えなさいといっているわけでもなく、
耐える必要はないです。
相手のこころを視る必要はあるけれど、自分の心やなにかたいせつなものに降りかかってきたものは、
それなりの対応をすればよいだけです。
怒り狂うひつようもなく。
「それはだめですよ」
と言えばよい。
よくスピリチュアルとかで、「ジャッジしてはいけない、批判や否定をしてはいけない」という言葉もあるけれど、
そういったものを何も関係のない部外者が言うのはどうかとおもうけれど、
自分自身に起きていることは、ジャッジするし、批判もするし、否定もするのが人間であると思うのです。
自然なこころの流れだから。
わたしたちは神様でもなんでもないので、分別はつけないといけないけれど、
「なんでもジャッジしないのよー否定はだめよ」というのは、
ある意味、偽りでもあると思うのです。それだけ人間の心というのは複雑で闇もある。またジャッジするからこの世の中が成り立っている。自分自身が思うジャッジはよいのです。
ジャッジする必要もないくらい、そんな気持ちにならなくて済むように、
結果的には自分自身を磨き上げることしかできないから、
人生はおもしろいのだと思います^^
確かにね、自分のエネルギーが高く軽やかになっていくと、あんまり出会わなくなってきます。
ちょいちょい出会っても、すっとどこかにいくか、自分が去るか。
好ききらいもそう。
きらいがあったら駄目なんじゃないか。
そんなことはない。
それが駄目なんであれば人はこんなに沢山いる必要がないのです。
スピリチュアルの、哲学の、仏教のおしえとか、偉い人の教えとか、
様々な意味合いがあって、補足もあって、言い伝えられている。
そこが抜けおちてしまうと、
自分でじぶんを苦しめてしまうよ~
言葉のむこうにあるもの。
それは自分自身がいちばん伝えたいこともそう。
そのへんをじっくり見ていくことがたいせつ。
そうでないと、いつまでも、
自分がじぶんのことをわからないで終わってしまうから。
人生は、自分とはいったいどういった人間なのかを発見する冒険
ほんとうの気持ち、届けていますか?