そのときに、純粋なきもちなのであれば
この世には出来事がひとつであったとしても、人間の数だけ感覚や感じ方がちがう。だから、こういうときって人生、生きていれば誰でも一度は遭遇しているのではないかと思う。
そんなつぶやきをツイートに書いているけれど、たまにまとめてこちらにアップしています。
ブログでも正直ひとによって階層と界層がちがうから受け取り方は千差万別、全部いいきれないものはあります。なので個人鑑定に来ていただいているのだけど、更にツイッターは、140文字しか打てないの^^:
それで少しだけ想うものを書き加えました。
『一生懸命なときって他がみえなくなるときあると思うの。よかれと思ってやったことが周りのひとにとっては良くなくて失敗になったとき。経験が浅いと起きること。若いときとかそうだよね。失敗は失敗として反省した後は自分に問うてほしいの。それは純粋な気持ちで奉仕の心でやったか?Yesなら、その経験は、あなたの人生において、とても大切な経験だということ。さじ加減を見極める出来事だったということ。
失敗をまた起こしたくなくて自分自身のやさしさを注ぐことをやめてはいけない。こうやってみんな迷惑かけあいながら成長するものなのだ。ほんとうの愛を知るために。』
好きなことってなんだろう。好きなことをみつけると全部バラ色なんだと思っているから余計に自分がおいてけぼりを味わってるように感じるとき。あるかな?^^そんなときは、
『好きなことをやっていても、いやだなって思うことはある。経験積んでくと段々となくなってはいくけど、その心境になるまでは、あるのだ。嫌な事あって辞めるのはそこまでの情熱だということ。何度も何度も超えていったとき、やっぱりやめられないというものが愛なのだ。それが好きな仕事と言える瞬間。』
わたしも何度もなんどもありました。いまの仕事でも、前の仕事でも沢山こういった想いをしました。
趣味のままでおいているほうがいいんじゃないか?とか。好きだからこそ、こわしたくない、みたいな感覚。嫌になりたくない。といった感じかな。でも、それでも辞めたくないって思うときは、愛しているとき。こういったときに好きな仕事って一ミリのうそもなく、言えるのではないかと思う。だから、焦って好きなこと探さないとって思わなくてもいいんだよ^^あ、わたし今の仕事好きです^^
わたしもいそがしくしているのも、ゆっくりしているのも好きだけど、忙しい忙しいっていわないの。
自分でやっているってわかっているから。自分に言うのは構わないけど、相手に言い続けると、言われたほうって、話しかけたりお誘いしたりしにくくない??気をつかうよね。
『忙しい、忙しいと連呼する人は、かまってちゃんである。忙しい忙しいというのは効率がわるいのであるから、手際がわるいのである。忙しい=有能ではない。有能な場合は忙しいってあまり言わないひとのほうが多い。なぜかというとスケジュール管理も自己管理も仕事であるから。連呼されると話しにくい。』
新型コロナウィルスが世界中のひとたちを不安にして世界も変わらざるを得ない感じになったよね。こうやって、書いている間でも、目の前でなくなりそうな人をケアしている。自分の命はってケアしてくれてる。
病気になっちゃったひとは、ものすごく不安だし、なんでなってしまったんだろうって自分を責めるし、移してしまったんじゃないかって心配になるし、体もしんどいでしょ。なんで悪人になるのかな。
ニュースとかいろんな記事で洗脳されてしまってはいけないよ。自分で感じて、考える力を身に着けること。何が隠されているのか?何を見せられないのか?そのために報道されていることもあるよね。
スピリチュアルで「悪いニュースなど一切みない」っていうのもあるけれど、それは私からすれば「事実に目をそむけていること」になる。事実を事実として受け入れ、それから自分はどうすればよいのかを考えること。そして生きること。大切です。手洗いうがい、免疫力上げていこうね~☆
『それに、医療従事者の方々がいるから私たちは生きれている。コロナになってなくても、もしかかったら病院があるって思えるのは、かなり心に安心感をもたらしている。そのことが免疫力を上げることにも繋がってる。ありがとうございますの気持ち忘れたなら、思い出して。』
コロナウィルスが教えてくれたこと
「自分ではどうしようもない」って思う重々しい抵抗感、圧力感を叩き割って解放していくこと。それは自分を生きること。
だよ^^