ご先祖様供養と家族依存って紙一重
お盆です^^今年のお盆はコロナ対策のためご自宅でお過ごしの方も多いかとおもいます。猛烈に暑いから近場の涼めるところでまったりと。という方もおられます。毎年お盆の時期になると日本人の心の中には「ご先祖様」がよぎりますね。
いま実際に自分のからだがあるのも、ご先祖様から引き継がれたDNAや、見えない領域のなかでの同意など、様々な要因によって、いま自分がこの世に存在しています。
長い歴史、いまの新型コロナのような疫病も流行りました。ですが、そこで生き残ったご先祖様がいたから、わたしたちがいまあるのですね。そう考えると子孫というのは生き残りの生き残りってかんじがして、強いなぁ~とも思うし、ご先祖さまがいたからなので全部に感謝です^^
お墓にいけないから。。と気がかりであるということもまた、感謝の違った表現のようにも思います。
ど~でもいいわ!だったら、そんな風には思えません。
「ありがとうございます」ってシンプルな気持ちだけで十分です。それさえあればご先祖様達はうれしいのです。
あと、一番たいせつなことは「あなた自身がしあわせでいること」これに勝るご先祖供養はないと思います。
なぜかというと、DNAで引き継がれているもの、よくもわるくも、いろいろあるけれど、エネルギーはつながっていて、「あなたがほっこりとしあわせ」であれば、そのエネルギーはご先祖様のもとへと届きます。しあわせというのも、他者との調和を乱して、というのはいけませんよ。調和のもと、しあわせ~である状態です。お茶飲んで、あ~おいしって思うことでもいいのです。そういったのがすべてキラキラのエネルギーに変わっていくのです。
お盆だから、すこし意識して感じてみてください。
ご先祖様って亡くなってなかったら家族って呼ばれますよね。親族。
家族だからって言うことば。ほほえましくいい感じに聞こえるものもありますが、「家族だから頼る。期待する。依存する。」っていう場合だと、それは家族依存になります。
ご先祖様のこともそう。「いつもありがとう」って思えるのは「ご先祖供養」ですが、
「どうにかしてくれ!いまの現実が悪いのはご先祖様が悪いからだ!」なんてのだと、それも他責となり、期待と依存になります。ご先祖様は亡くなっているから、あーだこーだとは言いませんが、生きている家族内で起こる家族依存というは心地よくありませんね。
家族だから助けられるのはあたりまえ。家族だから依存していい。
という期待感があると、そうでなかったときに「喪失感、怒り、かなしみ」がうまれます。
家族だから、頼っていいんだ。家族だから助けたい。もし、純粋なきもちでこのように思う場合は良いことです。
ことばは同じでも、どういった想いで発しているのか。それが「やってもらって当たり前!」であれば、
心地よくありませんね。
家族依存、家族信頼、ご先祖供養感謝、ご先祖供養期待。
この天秤をこころに持っておくと、良い状態でお互いが交流することが出来るようになります。
先日、温泉にいったのですが、常連のご婦人が「男の子はねぇ、お嫁さんにあげたって思わないといけないよ。なんかしてくれるって思ってたら駄目。なんでしてくれないの~ってなるから。そんな気持ちは捨てなあかん。お嫁に来てくれたけど、お嫁さんにあげたの。ってね。それが円満のコツ!」
と、他の同年代の方へおっしゃっていました。「ああ~なるほどねぇ~~ほんとうちの息子は何もしてくれなくてね。孫がきたらね、あれやってこれやって、お金ばっかりねぇ~やれやれ」
ご婦人)「孫が生まれたら、あるんやったらお金はどんどんやったらよろしいねんっ覚悟しないと」って。
お金のくだりは無理はしなくていいとおもうし、「あげたから好かれるわけではない」から、そこはご自身が餌にしてないか自問自答する必要はあると思うけど
常連のそのご婦人、ご挨拶くらいとちょっとのお話しはするんだけど、最初にみたときから「素敵だな」って感じた方でした。
やっぱり素敵って再確認。
親でも、子でも、誰でも、自分の所有物ではありません。
なにかをやってあげたから、何かをしてくれるのは当たり前だとおもうことは、それがかえってこないとき、裏切りだとか、怒りがこみあげてきます。
あげるのなら、あげる。以上!
こころは大切だから、こう思ってあげた、っていう気持ちは美しいものだけど、
それをずっと思い続けるのは重い。
気持ちよく、潔く、心快適に生きていきましょう。
家族であっても期待なく。
シンプルなきもちの交流をしていきましょう。