「かわいそう」と憂い怒りを感じている間は誰も助けられない
こんにちは、神戸☆スピリチュアルアドバイザーアリエルです。ぐぐーと寒くなりました。皆様お元気でしょうか?
神戸ルミナリエも始まり今年は一部白熱灯に変わったそうで気になるので見に行きたいな^^
以前はそれほどルミナリエに行ってなかったのですが、最近はなんだかんだで行っています。時間がないときは市役所のところらへんだけでも観ましょう。と思っていくと楽しいです。
あれから25年って数字を聞くと長くもないし短くもないし、時間の感覚はそのときの心境によっていろいろ感じるのだけど、神戸の街もだいぶ変わってきています。今も整備とか続行中なので数年後はどのような街になっているのかな。みんなが住みやすく安全で快適な街だといいな~^^とシンプルに願っています。
さて来週の一言メッセージは
「気持ちでどうにかなるものではない」です。
「一日の気分や気持ちを見てみましょう。外の出来事だけに囚われてはいませんか?自分よりも不幸であろう人たち、こんな状態になっている、これは社会的に大きな問題だ、などと憂い怒りの気持ちで一日は終わってはいませんか?気持ちが生じるのは自然なことですが、その「かわいそう」「どう思う?」だけでは誰も助けられません。そう思うことで共感しあい満足してはいませんか?あなたの抱えるわかりにくい優越感を捨て去りましょう。「では自分は何をするのか?何が出来るのか?」を考え直接的な助けでなくとも、ひとつずつあなたが動いていくことが大切なのですよ。社会全体のこと、国のこと、地球のこと、宇宙のこと、間接的であっても、あなたも関わっていることを忘れてはいけません。」
気持ちだけ熱していても何もならないというのはこういうことで、
自分自身の気分に浸り酔いしれるほど、助けにならないものはありません。
かわいそう、と思うことというのも実は非常に失礼な話であり、
本人はひょっとして何も思ってない場合もあるし、自然な状態のときもあるし、立ち直ろうとしている最中かもしれないし、不幸とも思ってはおらずむしろ「よかった~」と思っている場合もあります。また、かわいそうと思うなら何かを実際にすればよいのです。
かわいそう、ということばは、相手をみじめにさせる言葉でもあると思います。
かわいそうは、「あなたはわたしとは別」といった分離感さえも感じます。
本当に誰かを助けたいと思ったときには、まず、そういった「かわいそう」と発する自分自身を助けなくては誰も助けられません。
心配そうに、見つめ、かわいそう。でも何もやんない。
お~~~い
そう思うなら小さいことでいいから何かやろう。にこって笑うだけでもいい。ちょっとした言葉をかけてあげるのでもいい。なんでも、ほんとに小さいことでいいのです。そしてその前に自分自身が調和に満ちた心でないといけません。「かわいそうだから」という発想ではないところから行う必要があります。人はみんな同じ。尊重するのです。
人は、人が優越感に駆られるために存在しているわけではありません。
そういった自分自身の闇にふれていくこと。
そうしたとき、人は謙虚さと感謝を思い出します。
人を助けるのは人。
わたしの好きな言葉です。
神戸☆スピリチュアルアドバイザー アリエル
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